口喧しい大人たちのいない無人島で仲間たちと暮らしたい。
多くの人々が思春期に空想した憧れではなかろうか。思うに、ジュール・ヴェルヌは、多くの人々の期待に背を押されるようにして『十五少年漂流記』を書き上げ、世界中で愛読者を獲得した。
だが、本当に少年たちが孤島に置かれた倍、彼らは団結し、生き残ることが出来るのだろうか。
『蠅の王』でゴールディングが描くのは、人間の中に潜む獣性である。祖国イギリスから戦火を免れるために出国した飛行機が、銃撃され、墜落する。飛行機を脱出した少年たちは無人島での生活を始める。
当初、少年たちは明るく、希望に満ち溢れていた。何しろ、大人たちはおらず、少年たちだけで自由に暮らすことが出来るからだ。大きなほら貝を発見し、少年はこれを吹き鳴らす。会議が開催され、ほら貝を持っている人間の話に耳を傾けるなど規則が決定され、リーダーとしてラーフが選出される。聖歌隊の指揮をとるラーフより年長のジャックは自尊心を傷つけられるが、選挙の結果には素直に従った。
だが、時の経過とともにラーフとジャックは対立を繰り返す。
仮面を被るかのように顔に泥を塗り、茂みにひそみ息を凝らす。豚を仕留めるためだ。ジャックの率いる狩猟隊は、ある日、ようやく豚を仕留める。豚を殺したことに対する自信が生じるのは当然だが、彼らは殺戮そのものに快楽を覚え始める。
かねてより少年たちは見えない「獣」に怯えていた。小さな子が「獣」を見たと証言したことから恐怖が伝播し、少年たちをさらなる混乱に陥れる。
ジャックは「獣」に対する捧げものをすれば、「獣」は彼らを襲ってこないと妄想し、豚の頭を槍に刺し、これを「獣」への献物とした。
この豚の頭こそが「蠅の王」に他ならないのだが、本書の圧巻は「蠅の王」の台詞にあるといってよい。
一人冷静さを保ち続けていたサイモンに「蠅の王」は語りかける。
「獣を追っかけて殺せるなんておまえたちが考えたなんて馬鹿げた話さ!」
「わたしはお前たちの一部なんだよ。おまえたちのずっと奥のほうにいるんだよ?どうして何もかもだめなのか、どうして今のようになってしまったのか、それはみんなわたしのせいなんだよ」
こうした対話が為される一方で、狩猟隊の少年たちは狂気じみた豚狩りを模した怪しげなダンスに興ずる。彼らは甲高い声で叫び続けた。
「獣ヲ殺セ!ソノ喉ヲ切れ!血ヲ流セ!」
我々人間は本性において必ずしも善き動物とはいえない。少年たちの如く野蛮に手を染めることもあるかもしれぬ。そうした人間が善く生きるためにこそ、「法」が存在するのだ。改めて「法」の重要性を教える佳作である。
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