内村鑑三が名著『代表的日本人』を執筆した際、その筆頭に選んだ人物が西郷隆盛だった。内村は「日本の維新革命は、西郷の革命であった」と指摘し、西郷の偉大さを惜しみなく称賛する。一方、西郷の征韓論を日本帝国主義の源流とし、過激なナショナリズムの象徴と批判する人も少なくない。本書は丹念に資料を読み解きながら、毀誉褒貶相半ばする西郷隆盛の実像に迫ろうと試みた労作である。
西郷隆盛に限らず、一人の人間を考察した際、我々はその人物の生涯を貫く人格を安易に選び取り、その人物を理解したつもりになりがちだ。だが、人間は良くも悪くも変化する生き物であり、その生涯を貫く人格を読み解くことは容易ではない。本書で著者が描き出すのは、まさに変遷する西郷隆盛に他ならない。後年、人格者として知られる西郷は、若き日には、離島の住民を侮蔑し、友人に愚痴をこぼし、上司を面罵する直情径行の人物であった。だが、西郷は決して粗野な人物であり続けたわけではない。戊辰戦争の際、西郷は、従軍看護婦の給金にまで注意を払う配下思いの指導者であり、勝利に驕らず敗者の誇りを傷つけない寛大な指導者であった。本書がまことに優れているのは、西郷が時の流れとともに変化していくことを丁寧に辿っていく点にあろう。
また、著者は「西郷が、死後、ずっと多くの日本人の心の中で生き続けてきたという事実」(五四九頁)に触れているが、この指摘は重要だ。西郷に限らず、優れた人々は死後も我々の心の中に生き続けている。閑却してはならないのは、西南戦争で最後の時を迎える前、西郷が次のように書き遺している点だ。
「後世に恥辱を残さざる様に覚悟肝要にこれあるべく候也」(五一一頁)
西郷隆盛とは、紛れもなく、後世に生きる我々を意識しながら生涯を終えた人物であった。西郷隆盛が今もなお我々の心の中で生き続けるのは、彼が後世の我々の視線を意識した英傑であったからではなかろうか。
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