日本を代表する文芸評論家と日本を代表する数学者との対談。本書は日本の対談における白眉と言ってよかろう。文藝評論家と数学者とが一体、何を話すのか。日本酒、文学、数学、物理学、特攻隊、小我…。話は多岐に渡るが、対談の随所から両者が紛れもなく当代随一の知識人であり、感受性豊かな人物であることが示されている。
対談の冒頭から面白い。対談は京都で行われたのだが、ちょうど、大文字の山焼きの当日であったようだ。そのことを小林が岡に告げると、岡は応える。「小林さん、山はやっぱり焼かないほうがいいですよ」。
この冒頭の部分を読むだけで、岡の率直な人柄を感じることが出来るし、両者が馴れ合うのではなく、真剣に対談していることを窺わせるに十分だ。
さて、評論家というと、自分自身では何ごとも行わずに、他人についてあれこれと論評しているイメージがある。確かにテレビで見る評論家の類はこの手の人物が多い。だが、小林秀雄はそうした評論家とは異なる存在だった。小林は批評の極意について、次のように述べている。
「その人の身になってみるというのが、実は批評の極意ですがね……高みにいて、なんとかかんとかいう言葉はいくらでもありますが、その人の身になってみたら、だいたい言葉がないのです。いったんそこまで行って、なんとかして言葉をみつけるというのが批評なのです」
実際に当事者の身になったかのように、自分自身を置いてみる。ここまでは、何となくわかるのだが、重要なのはその次の言葉だ。本当に当事者の立場に立って見れば、言葉が見つからない。見つからない言葉を真剣に探し出そうとするのが批評だというのだ。
岡潔は小林の言葉に対する敏感さについてこのように述べている。
「言葉に直すのに、いかに苦心を払っていられるかということがわかります。小林さんの底にある、その苦心を払わせるものを私は情熱と呼んでいるのです。」
言葉を研ぎ澄ます感受性の重要性を説く小林に対して、数学者の岡は、数学者にとって最も重要なものは感情だと説く。
数学は矛盾がないことを証明する学問だが、数学者自身が矛盾がないと納得することが大切なのだという。
「矛盾がないというのは、矛盾がないと感ずることですね。感情なのです。…(略)…矛盾がないということを説得するためには、感情が納得してくれなければだめなんで、知性が説得しても無力なんです。」
言葉と数字。対象は異なるが両者は共に情熱的な人物であった。
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