山内廣隆『昭和天皇をポツダム宣言受諾に導いた哲学者:西 晋一郎 昭和十八年の御進講とその周辺』(ナカニシヤ出版)

 西晋一郎という思想家を知る人はどれ程存在するだろうか。戦前、彼が和辻哲郎、西田幾多郎と並び称された思想家であったことまで知る人は更に少ないはずである。忘れ去られた戦前の著名な思想家の一人といってよいだろう。

 東京大学文学部哲学科を卒業し、師範学校で教授を務めた後、西晋一郎は広島文理大学教授として活躍した。彼が専攻したのは、哲学、具体的には「国体学」と称された学問だった。

 彼は欧米の「社会契約国家」を批判した。日本は天皇が大御心で国民を抱擁し、国民はそれに応え、天皇に対して忠孝を尽くす「和衷協同体」でなければならないと説いたのだ。彼の「忠孝」論の要となる概念は「信」であった。

 終戦末期、昭和十八年一月、西は昭和天皇への御進講の栄誉に預かることとなった。彼が論じたのは『論語』顔淵篇、子貢が孔子に「政」を問う場面だ。政の本質を問う子貢に対し、孔子は国民を飢えさせぬこと、国家の兵備を整えること、国民の信を失わぬことと応ずる。子貢は更に、何れかを断念せざるを得ない局面で何を最初に断念すべきかを孔子に問う。孔子は「兵備」を断念すべきであるとした。再度、子貢が次に断念すべきは何かを問うと、孔子は国民の「食」を断念すべきであるとし、何よりも「信」を重視せよと応じた。

 この部分について西は次のように御進講申し上げている。

「上が信を下に失いますると政道が行われませぬ。政道が行われませぬと国が立ち行きませぬ。国が立ちゆきませぬと民は一国の民として、即ち真に人間として立ち行くことが出来ませぬ」(本書、151頁原文カタカナを平仮名にした)

 御進講前年、日本はミッドウェイ海戦に敗れ、戦局は厳しさを増していた。危急存亡の際、「兵備」以上に国民の「信」を重視すべきであるとの西の御進講に昭和天皇は何を思われたのであろうか。鈴木貫太郎が終戦当時に昭和天皇から『論語』の該当部分について言及されたとの声もあり、更なる研究が期待される。

 西晋一郎の思想と生涯を紹介した好著だが、評者として看過できぬ言説もあった。例えば、著者は靖国神社に参拝することを「陶酔的ナショナリズム」の「現代における『あらわれ』」と難じ、戦争への反省の足りなさを訴え、自らが拠って立つ立場を「広いナショナリズム」と擁護している。だが、祖国の為に名もなく亡くなった人々への「信」からなる「祈り」を否定するナショナリズムなど成立しえないはずだ。危機の時代に生きた先人への「信」を喪うことではなく、取り戻すことこそが日本にとって重要だろう。

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