塩田潮 『密談の戦後史』(角川選書)

 昭和四十五年十一月二十五日。三島由紀夫が森田必勝らとともに市ヶ谷駐屯地で壮絶な割腹自決を遂げ、日本全土に激震が走った日だ。

この晩、総理の座を虎視眈々と狙う田中角栄は、秘書の早坂茂三を伴いながら赤坂の料亭「千代新」の門をくぐった。料亭に集ったのは週刊誌『女性自身』編集長、編集長代理の児玉隆也、『月光仮面』で名を馳せた作家川口康範、政治評論家戸川猪佐武ら八名の男たちだった。

一見すると実に不思議な面々の集まりだ。これは『女性自身』が田中の愛人であり三人の子をもうけた辻和子を取り上げようとしたことを察知した田中がもうけた密談の場所だった。田中は自分の子供を守るためなら、「議員を辞めてもいいからつぶす」とまで宣言した。田中に取材したがる編集部に対して、田中は一方的に自分の話を展開し、質問には応えなかった。結局、『女性自身』は辻和子を取り上げることはなかった。

 だが、宿命的な巡り会わせというべきだろうか。この場に居合わせた児玉隆也は、田中角栄が総理となった後、『文藝春秋』に「淋しき越山会の女王」を寄稿し、田中角栄総理退陣の引き金を引くことになる。このとき児玉が取り上げたのは、愛人の辻和子ではなく、田中の「金庫番」を務める佐藤昭だった。

 政治が決して合理的な営みではありえないのは、正義、義理、欲望、嫉妬といった様々な非合理的な感情が渦巻く世界だからだ。「一寸先は闇」ともいわれる先の見えない世界を生き抜くために、様々な利害の調整を行う密談の場が設けられる。だが、密談での約束はあくまで密談での約束だ。そのまま履行されるという保障は一切存在しない。憲法をめぐるマッカーサー、幣原喜重郎の密談から、躊躇する安倍晋三に熱心に再登板を促した菅義偉との密談まで三十三の密談が取り上げられている。

他にも所謂「椎名裁定」の前日に三木武夫は、三木指名を知り、自分自身で「椎名裁定」の裁定文を執筆していた話等、情報通の著者ならではの逸話が散りばめられており、興味深い一冊になっている。

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