歴代総理大臣に仕えてきた自民党職員、田村重信氏が実体験をもとに書いた一冊。筆者によれば、気配りとは「目の前にいる人間を少しでも喜ばせようと努力する」ことだ。自民党の政治家で成功している人々は「気配り」の達人だったという。
本書で紹介されている面白い逸話を幾つか紹介しよう。
竹下登は誰と会うときにでも必ず五分前にやってきたという。自分より目上の人間に会うときに遅刻をしないのは常識だが、竹下は自分より目下の人間と会うときにも必ず五分前にやってきたという。しかも、総理大臣になっても竹下はこの習慣を守り続けたというから驚きである。絶対に人を待たせない、という気配りの達人である竹下が出席する会議では遅刻する政治家は皆無であったという。
政治家のパーティーなどで辟易するのは、来賓として招かれた政治家が延々と自慢話を続けることだ。面白い話であるならばともかく、大体の場合がつまらない。「よくここまでつまらないことを話し続けるな」と妙な感心をしてしまうことすら少なくない。要するに彼らは聞き手に対する気配りに欠けているのだ。だが、竹下は違った。ただ一言で終わらせたという。
「皆さん、幸せは長く、挨拶は短く。以上、竹下登でした、よろしく!」
多くの参加者が拍手喝采したことは想像に難くない。長く話して嫌がられるよりも、極端に短くして好印象を抱かせ、自分の名前を覚えてもらえるのだから一石二鳥だろう。他人に対して気配りができる人間は他人からも好かれるというよい事例ではないだろうか。
小泉進次郎もまた気配りの達人であると筆者はいう。
田村氏の専門は安全保障問題であり、『日本の防衛政策』(内外出版)という名著の著者でもある。その田村氏にある時進次郎が電話をかけてきた。安全保障委員会で質問をすることになったので関連資料を集めて欲しいとの依頼だった。快諾した田村氏が資料を収集し、進次郎の事務所に電話をかけた。資料を持参する日程調整をするためである。だが、進次郎の秘書は田村氏が資料を持参する必要はなく、進次郎から資料を受け取りにいくといって聞かない。政党の職員が衆議院議員に資料を持参するのが永田町の常識だが、進次郎は敢えて自分から資料を取りに行くという気配りの人であった。田村氏は当時を振り返って次のように述べている。
「そこまでされたら私も悪い気はしません。資料を渡して説明するときに、いつも以上に熱が入ったことはいうまでもありません」
進次郎は本書に収録された田村氏との対談の中で江藤拓との興味深い逸話を紹介している。江藤は農林族の実力者だが、小泉純一郎の仕掛けた郵政解散で自民党の公認を受けられず、苦労した後に復党した政治家だ。江藤にとってみれば、小泉は憎き仇の子供に他ならない。江藤は進次郎に「お前のことなんか嫌いだ」と面罵したこともあるという。その時の進次郎の解釈がふるっている。「この人は嘘をつかない、信用できる人だと直感した」というのだ。陰口を叩くのではなく、正面から罵倒してくれる人の方が正直だというわけである。この後、進次郎は「嫌いだ」と公言している江藤に食事に連れて行って欲しいと願い、ともに焼肉を食べたという。敵を敵のままにしておかず、少しでも距離を縮めようとする一流の気配りの実践例といってよいだろう。
著者自身が実践してきた気配り、そして実際に目撃した政治家の気配りの事例が多数収められている。「気配り」が足りず喧嘩ばかりしている評者も本書で紹介された「気配り」を少しでも実践してみることにしたい。
コメント