池田潔『自由と規律:イギリスの学校生活』(岩波新書)

 英国にはパブリック・スクールという学校が存在する。「パブリック」とあるために誤解されがちだが、公立学校ではなく、私立学校である。その歴史は古く、設立の起源は十四世紀にまで遡る。 パブリック・スクールの特徴は全寮制にある。二十四時間の共同生活を通じて、人格の陶冶、責任、規律の観念が涵養されることが目的とされている。規則は厳しく、時に不条理に感じられるような規則も存在している。だが、それでもなお、著者は、全寮制のパブリック・スクール教育を擁護している。

 極めて粗食、自分自身の自由な時間は殆ど存在せず、小遣いも些少である。生徒の多くが不自由を感じているという。

 「幾度繰り返しても、学期初めの数日は正に地獄である」

 自身がパブリック・スクール出身の著者の述懐だから、その言葉に偽りはあるまい。 教師は規則に関して厳格だが、生徒たちに愛情を以て接する。校長が一人ひとりの生徒の名前を覚えるだけなく、生徒の生活実態を細かく把握し指導をしている点が感動的だ。

 なお、校長は学校の代表者として教育方針を決定する。教職員会議など存在せず、校長の権限は非常に大きい。著者はこれを「独裁者による善政」とまで評している。「自由」な議論によって教育方針が決定されるのではなく、校長の強い信念によって教育方針が決定されているのだ。

 驚くべきことに、近代民主主義の揺籃の地であるイギリスでは、教育において「自由」が尊ばれるのではなく、「不自由」が重んじられている。

 こうした英国の「不自由」な教育について、偉大なる自由主義思想家小泉信三は次のように喝破したという。

 「かく厳格なる教育が、それによって期するところは何であるか。それは正邪の観念を明にし、正を正とし邪を邪としてはばからぬ道徳的勇気を養い、各人がかかるところの勇気を持つところにそこに始めて真の自由の保障がある所以を教えることにあると思う」(引用に際し、歴史的仮名遣を現代仮名遣に修正した)

 放縦とは異なる高貴なる自由の礎には、各人の確固たる道徳心が必要である。そして道徳心を涵養するためには、「不自由」に耐える修練の日々が欠かせない。「不自由」が「自由」の礎となるというパラドクスが真理の一端である。

 本書が執筆されたのは戦後間もなくであり、著者がパブリック・スクールの寮で学んだ日々は、戦前の日々だ。

 変化が急速なことが現代の特徴である。本書が描いたようなパブリック・スクールは、もはやイギリスにも存在しないのかもしれない。だが、本書が時を越えて版を重ね続けているのは、そこに一つの教育の理念というものが体現されているからに他ならない。

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